ウィリアム・ブレイディ大司教の遺品について -セントポール大聖堂のミサ典書と、バチカン公会議前夜の記憶

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ウィリアム・ブレイディ大司教の遺品について

セントポール大聖堂のミサ典書と、バチカン公会議前夜の記憶

著者:マリア・ガブリエラ・セラフィナ


はじめに——古い本屋の棚の前で

私の手元に、一冊の古いミサ典書がある。

それは日本のある古いアンティーク本屋で見つけたものだ。私たちがその店を訪れたのは、特別な目的があってのことではなかった。ただ古い本の間を、時間をかけてゆっくりと歩いていた。年月を経た紙の匂いがして、棚には見知らぬ言語の本が並んでいた。外国語で書かれた古い宗教書、旅行記、詩集、辞書の類いが、誰かに気づかれることもなく、静かに肩を寄せ合っていた。

そのような店だった。急いで入り、急いで出るような場所ではない。ゆっくりと、棚に沿って歩き、手を伸ばし、また元に戻し、また別の本を手に取る。そういう時間の流れ方をする場所だった。

その本を手に取ったとき、何かが胸の中で動いた。

それを言葉にしようとすると、どうしても言葉が滑る。感覚的なことは言葉にするのが難しい。ただ確かに、これは普通の古本ではないという静かな確信が、知識としてではなく、もっと内側の、言葉になる前の場所で生まれた。重さが違う、と思った。紙の厚さではなく、その本が持っている何かの重さが。

表紙を開くと、ラテン語と英語が並んで印刷されていた。

第二バチカン公会議以前のカトリックのミサ典書、Daily Missalだった。革の表紙は年月によって柔らかくなり、ページの縁は少し黄ばんでいた。しかしそれが逆に、この本が実際に誰かの手によって使われていたことを示しているように思われた。飾りとして棚に置かれていたのではなく、実際に祈りの場に持ち込まれ、礼拝のたびに開かれ、閉じられ、また開かれた本だということを。

そして内側のページに、署名があった。

ペトルス・カニシウス・ファン・リエルデ師の署名だ。

日付は1961年。

私はしばらく、その署名をただ見ていた。インクはわずかに褪せながらも、確かにそこに存在していた。ある人物が、ある日、ある場所で、この本にペンを走らせた。その事実が、インクの痕跡として今も残っている。

この本は、ウィリアム・オタウェル・イグナティウス・ブレイディ大司教の遺品だった。

アメリカの、偉大な大司教の遺品が、どのような旅路をたどって日本のこの古い本屋に流れ着いたのか、私には知るよしがない。しかし今それは私の手元にある。私、マリア・ガブリエラ・セラフィナが、この本を持っている。


一、ウィリアム・ブレイディ大司教という人物

ウィリアム・オタウェル・イグナティウス・ブレイディ。

この名前を声に出して読むと、重さがある。ウィリアムという洗礼名、オタウェルという珍しい中間名、イグナティウスという霊名——イエズス会の創始者聖イグナティウス・デ・ロヨラへの敬意を示す名——そしてブレイディというアイルランド系の姓。それぞれの名前が、その人物の出自と信仰の系譜を静かに物語っている。

彼は1899年2月1日、マサチューセッツ州フォールリバーで生まれた。

フォールリバーは工場の町だった。十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけて、ここには世界中から労働者が集まり、繊維産業の中心地として活気にあふれていた。アイルランド系、ポルトガル系、フランス系カナダ人、ポーランド系、様々な出身の人々が、それぞれの言語と宗教と食文化と思い出を持ちながら、同じ工場の煙の下で暮らしていた。そのような移民の街において、カトリックの教会は単なる礼拝の場所ではなかった。教会は共同体の核だった。週に一度ミサに集まることで、人々は自分がどこから来て、何を信じ、何のために生きているのかを確認した。

そのような環境の中に、ウィリアム・ブレイディは生まれた。

父はジョン・J・ブレイディ、母はグラディス(旧姓ダヴォル)。兄のルイス、妹のレオノラと共に育った。彼はB.M.C.ダーフィー高校に通い、最終学年には年鑑の編集者を務めた。この小さな事実が、彼の人物像についての何かを伝えている。文章を編む仕事、記録を整える仕事、共同体の歴史を言葉として残す仕事への、自然な親しみがあったのだろう。それは後の彼の神学的な営みと、どこかで深く繋がっているように思われる。

司祭への道を決意した彼は、1916年にメリーランド州カトンズヴィルの聖シャルル学院に入学した。その後1918年にボルチモアの聖マリア神学校へ、1920年にはワシントンD.C.のカトリック大学神学部へと進んだ。学びの旅が続いた。一つの場所に留まらず、移動しながら、より深い知識と霊的な成熟を求めながら。

1923年12月21日、彼はフォールリバー教区のために司祭に叙階された。叙階を行ったのはダニエル・フランシス・フィーハン司教だった。その日付を私は静かに受け取る。1923年12月21日、冬至に近い日。最も夜の長い季節に、一人の青年が司祭として新たに生まれた。

叙階の後、教区は彼を再びカトリック大学へ送り、1924年に神学学士号を取得させた。そして同年、彼はローマへと渡る。聖トマス・アクィナス教皇立大学でさらなる学びを続けるために。

ローマでの学びは二年間続いた。

1926年、彼は神学博士号を最優等(summa cum laude)で取得した。この「最優等」という言葉が示すのは、単に優秀だったということではない。それは、彼がその学びに全力を注いだということだ。ローマという場所で、何世紀もの神学の蓄積と向き合いながら、妥協なく深く掘り下げた証しだ。

ローマを離れた彼は、ミネソタ州セントポールの聖パウロ神学校で道徳神学と牧会神学の教授職に就いた。

教授という職は、知識を持っているだけでは務まらない。知識を人に伝える能力が必要だ。抽象的な神学の概念を、人が実際の生活の中で信仰を生きるための言葉に翻訳する能力が。ブレイディはその働きを、七年間にわたって続けた。そして1933年、彼は聖パウロ神学校の学長となった。

学長としての六年間は、単なる管理職の年月ではなかったはずだ。若い司祭候補生たちの信仰の形成に関わる、深い責任を伴う歳月だった。彼らがどのような心の土台の上に立って神に仕えるか、そのことに深く関わる働きだった。

1939年6月10日、教皇ピウス12世はウィリアム・ブレイディをシウクスフォールズ司教に任命した。

それは南ダコタ州の広大な教区だった。大平原の広がる土地で、人々は農業を営み、牧場を経営し、広く散らばって暮らしていた。一人の司教が担うには、地理的にも霊的にも大きな場所だった。しかし彼はその働きを、1939年から1956年まで、十七年にわたって続けた。

1939年8月24日、彼はミネソタ州セントポールの聖パウロ大聖堂で司教に叙聖された。叙聖を行ったのはジョン・グレゴリー・マレー大司教だった。この名前を記憶しておいてほしい。マレー大司教は後に、ブレイディの前任者として聖パウロ大司教区を率い、そしてブレイディはその後継者となる。人の縁というものは、いつも最初から予め組まれていたかのように、後から見ると見事な形をしている。

1956年6月16日、教皇ピウス12世はブレイディを聖パウロ大司教区の補佐大司教に任命した。そして同年10月11日、前任のマレー大司教が逝去すると、ブレイディは聖パウロ大司教に就任した。

セントポール大聖堂。

彼はそこへ帰ってきた。かつて神学を学んだ場所に。かつて叙聖を受けた場所に。今度は大司教として。人の一生の旅路というものは、しばしば円を描く。始まりの場所に戻ってきたとき、人はまったく異なる目でその場所を見る。同じ石の壁、同じ高い天井、同じステンドグラスから射し込む光——しかし自分は変わっている。より多くのものを見て、より多くのものを失い、より多くのものを愛した者として帰ってきている。

彼の在任期間は1956年から1961年まで。五年間だ。短いかもしれない。しかしその五年間の最後に、彼の名を語る上で決して外せない出来事が起きる。


二、1961年——バチカン公会議前夜の空気

1961年という年について、その意味をもう少し丁寧に記しておきたい。

第二バチカン公会議が正式に開幕したのは、1962年10月11日のことだ。教皇ヨハネ23世が召集したその公会議は、カトリック教会の歴史において最も重要な出来事の一つとして記憶されている。何百年も続いてきた典礼の形式が問い直され、教会と現代世界の関係が再定義され、他のキリスト教諸派との対話が本格的に始まり、信者が礼拝に参与する方法が根本的に変わった。ラテン語で行われていたミサが各国の言語で行われるようになり、司祭が会衆に背を向けて祭壇の前に立つのではなく、会衆に向かい合う形に変わった。

これらの変化を、良い変化と見る人もある。失われたものを惜しむ人もある。そのどちらも、それぞれの誠実さを持っている。私はここでその是非を論じたいわけではない。ただ、その変化がいかに根本的で、いかに大きなものだったかを確認しておきたい。

そしてその公会議の直前の年、1961年は、準備が最も重要な段階を迎えていた時期だった。

準備委員会の会議が続いた。どのような議題を公会議で取り上げるか。どのような方向性で議論を進めるか。何百年もの伝統をどのように受け継ぎ、どこを変えるか。そのような根本的な問いが、バチカンの会議室で、神学者たちの書斎で、司教たちの間で、交わされていた。

ブレイディ大司教は、この準備過程の相談役として任命されていた。具体的には、司教団と教区統治のための教皇委員会の相談役(コンサルター)としての役割を担っていた。それは単に名誉職ではなかった。公会議の方向性に実質的に関わる、責任ある立場だった。

彼がこの立場でバチカンを訪れたとき、ファン・リエルデ師と会い、このミサ典書に署名を受けた。

1961年という年。第二バチカン公会議が翌年に迫った、その前夜の年。教会が大きな変化の手前に立っていた年。何世紀も変わらなかったものが変わろうとしていた、あの緊張と期待と不安の入り混じった年に、この署名は書かれた。

そのことの重さを、私はこの本を手にするたびに感じる。


三、ミサ典書というものについて

この本が何であるかについて、もう少し丁寧に記しておきたい。

Daily Missal、日常ミサ典書。

カトリックの典礼、特に第二バチカン公会議以前の「トリエント様式」と呼ばれる伝統的なラテン語ミサにおいて、信徒が礼拝に参与するために用いる書物だ。ミサの全ての部分——入祭唱から始まり、キリエ・エレイソン、グローリア、書簡と福音の朗読、信条(クレド)、奉献文、聖別の言葉、主の祈り、アニュス・デイ、聖体拝領唱、そして退祭唱まで——が、ラテン語原文と英語対訳で印刷されている。

「ラテン語原文と英語対訳が並記されている」という形式には、深い理由がある。

ラテン語は普遍言語だった。どの国の教会でも、同じ言葉で同じミサが捧げられる。アメリカでも、イタリアでも、日本でも、アフリカでも、フィリピンでも、同じラテン語の言葉が空中に響く。信者たちはそれぞれ自分の国の言葉を日常語として使うが、神に向かって礼拝を捧げるとき、すべての人が一つの言語を用いる。これは普遍性の神学だ。教会が「カトリック(普遍的)」であることの、見える形での表現だ。時代と場所を越えて、一つの信仰が一つの言葉で表現されるということの。

しかし同時に、信徒が理解できなければ礼拝は形骸化する。意味のわからない言葉を聞きながらただ座っているだけでは、礼拝への真の参与にならない。だから英語対訳がある。司祭が祭壇でラテン語を唱えている間、信徒は手元の典書でその英語訳を追いながら、礼拝の意味を心の中で理解し、内側から参与する。

この形式そのものが、一つの神学的な立場を体現している。

普遍性と理解可能性。変わらないものと、時代に応じた説明。どちらか一方を切り捨てるのではなく、両方を同時に保持しようとすること。それがこの、ラテン語と英語の並記という形式の中に込められている。

そしてこの本は、第二バチカン公会議の前に印刷された。ラテン語ミサが変わる前の、最後の時代の産物だ。その意味で、この本は一つの時代の証人だ。ラテン語だけが礼拝の言語であった時代の、最後の光を封じ込めた証人だ。

このミサ典書には、礼拝の言葉が刻まれている。

Introibo ad altare Dei. I will go to the altar of God. 私は神の祭壇に近づく。

Ad Deum qui laetificat juventutem meam. To God who gives joy to my youth. 私の若さを喜びで満たしてくださる神のもとへ。

Kyrie eleison. Lord, have mercy. 主よ、憐れみたまえ。

Christe eleison. Christ, have mercy. キリストよ、憐れみたまえ。

Gloria in excelsis Deo. Glory to God in the highest. いと高きところに神に栄光あれ。

Et in terra pax hominibus bonae voluntatis. And on earth peace to men of good will. 地には善意の人々に平和あれ。

これらの言葉を、ブレイディ大司教は何千回と口にしていたはずだ。司祭として、司教として、大司教として、何十年もの間。毎朝の祭壇の前で、繰り返し繰り返し。ラテン語の音が体に刻まれるほどに。もはや意識して考えなくても、息をするように流れ出てくるほどに。

そのような人物のミサ典書が、今私の手元にある。

その紙のページを開くとき、私は何十年か前のある朝の礼拝の残響のようなものを、かすかに感じる気がする。それが幻想なのかどうか、私にはわからない。ただ感じる、それだけのことを正直に記しておきたい。


四、ペトルス・カニシウス・ファン・リエルデ師について

この本に署名を残した人物について、もう少し詳しく記しておきたい。

ペトルス・カニシウス・ジャン・ファン・リエルデ。1907年4月22日、ベルギーのハッセルトに生まれた。オランダ系の家族の出身だ。

若い頃、彼は聖アウグスティヌス修道会に入会した。アウグスティヌス会は、四世紀の神学者聖アウグスティヌスを霊的な父とする修道会だ。「我らの心はあなたの内に安らうまで落ち着きがありません」という言葉で知られるアウグスティヌスの、あの深い神への渇望と探求の精神を受け継ぐ修道会だ。

彼は1931年5月30日に司祭に叙階された。その後、神学と哲学の二つの博士号を取得し、ローマのアウグスティヌス修道会学院「聖モニカ」の院長を務めた。

第二次世界大戦中のことが、私には特に印象深い。

ナチス・ドイツがローマを占領していた時期、ファン・リエルデ師は「聖モニカ」学院で多くの難民を匿った。軍将校、ユダヤ人、反ファシストの政治家たち。それは命がけのことだったはずだ。見つかれば自分も危険にさらされる。しかし彼はそれをした。なぜか。おそらく、それ以外に選択肢がなかったからだ。目の前に危険にさらされた人がいる。助けられる可能性がある。ならば助ける。それ以上でも以下でもない、しかし実行するには並外れた勇気を要する、その一点の決断として。

信仰が具体的な行動として現れる瞬間は、いつもそのような形をしている。抽象的な教義の問題ではなく、今目の前にいるこの人に、今自分にできることをするか、しないか。ファン・リエルデ師はした。

1951年1月13日、教皇ピウス12世が彼をバチカン市国総代理に任命した。

バチカン市国総代理。この称号が指す役割を、一般の人々に説明するのは少し難しい。バチカンは世界最小の独立国家だが、同時に全世界のカトリック教会の中心でもある。その行政的な管理を担う要職の一つが、バチカン市国総代理だ。単純に言えば、バチカンという場所の日常的な運営を担う、非常に重要な立場だ。

彼は1951年から1991年まで、四十年間にわたってこの職にあり続けた。

四十年。その間に、世界は何度も大きく変わった。冷戦が激化し、月に人間が降り立ち、ベルリンの壁が崩れた。カトリック教会の中でも、第二バチカン公会議という大きな変化があった。しかし彼はその職にあり続けた。ピウス12世からヨハネ23世へ、パウロ6世へ、ヨハネ・パウロ1世へ、ヨハネ・パウロ2世へと、教皇が変わり続ける中で。

四回の教皇選挙会議——コンクラーヴェ——で祭具室長を務めた。1958年、1963年、そして1978年に二回。歴史の最も重要な場面に、静かに、しかし不可欠な存在として立ち続けた人だ。

彼のモットーは Custodiens veritatem、「真理を守ること」だった。

この言葉が、彼の四十年間の働きを要約している。派手な革新でも、劇的な変化でもなく、ただ守ること。真理を、信仰を、礼拝を、バチカンという場所の神聖さを。それを四十年間、黙々と続けた人だった。

彼とヨハネ23世の最後の場面を、もう一度思う。

1963年5月31日、老いた教皇が臨終に近づき、彼を求めた。ファン・リエルデ師は枕元に立ち、終油——塗油の秘跡を始めた。しかし感極まって、正しい順序を忘れてしまった。どれほど長く司祭として生きてきても、人間は死の前で感情を制御できなくなることがある。それは恥ではない。それは人間であることの証しだ。

そのとき、死にゆく老いた教皇がそっと彼を助けた。

順序を、静かに教えた。そして教皇は、その場に居合わせたすべての人に、最後の別れを告げた。

助ける者と助けられる者が、静かに入れ替わった。死に際の教皇が、動揺している司教の手を導いた。この場面が示しているものは何だろうかと、私はときどき考える。人間の弱さと、それでも続けようとする愛の、どちらも否定しない在り方を、この場面は静かに語っている気がする。

ファン・リエルデ師は生涯を通じてピウス12世の深い崇拝者だった。彼はピウス12世について繰り返し語った。「鋭く透徹した知性、並外れた記憶力、方法的な作業への意欲、神への深い愛と人々への愛——神を通して、神ゆえに人を愛する愛」と。

「神を通して、神ゆえに人を愛する愛」。

この言葉が、長く私の中に残り続けている。これは単純に聞こえるが、実際には非常に深い。人を愛するとき、その愛の根がどこにあるかによって、愛の質が変わる。その人が自分にとって有益だから愛する。その人が自分の感情を満たしてくれるから愛する。その人が自分の理想に合っているから愛する。そのような愛は、条件が変われば変わる。しかし「神を通して、神ゆえに」人を愛するとき、その愛の根は神にある。神が変わらないように、その愛も変わらない。

ファン・リエルデ師は、そのような愛をピウス12世の中に見た。

そしてこの言葉は、私がこの文章全体を通して語ろうとしていることと、深いところで繋がっている。

彼は1991年にヨハネ・パウロ2世によって名誉総代理(エメリトゥス)とされ、1995年3月12日にベルギーのルーセラーレで逝去した。八十七歳だった。その長い人生の最後まで、彼はバチカンの中で働き続けたと伝えられている。

「真理を守ること」を生涯の標語として生き、守り続けた人だった。


五、1961年の署名——ふたりの聖職者が交わった瞬間

この本の中の署名について、改めて考えたい。

1961年という年のある時期に、ウィリアム・ブレイディ大司教はバチカンを訪れた。第二バチカン公会議の準備委員会に関わる相談役として、その準備過程に加わるために。そしてその訪問の中で、バチカン市国総代理であったペトルス・カニシウス・ファン・リエルデ師と会い、このミサ典書に署名を受けた。

ふたりがどのような状況でこの本を手にしたのか、私には知るよしがない。

公式な会議の場だったかもしれない。あるいは廊下ですれ違いながら交わした、短い言葉と共にだったかもしれない。昼食か夕食を共にしながら、信仰について語り合った後だったかもしれない。あるいは全く個人的な敬意の表れとして、ブレイディ大司教が差し出した本にファン・リエルデ師がペンを走らせたという、それだけのことだったかもしれない。

それらを確かめる方法が、今はない。

ただ確かなのは、ふたりがそこにいたということだ。1961年という年、バチカン公会議の前夜という時期に、アメリカの大司教とバチカン市国総代理が、同じ場所で同じ一冊の本を通して何かを分かち合った。

ブレイディ大司教にとって、バチカンは特別な場所だったはずだ。若い頃に学んだ場所だ。1924年から1926年にかけて、聖トマス・アクィナス教皇立大学で神学の博士号を取得した、あの場所だ。それから三十五年以上を経て、今度は公会議の相談役として戻ってきた。同じ石畳、同じ空気、しかし自分は別の人間になって戻ってきた。神学を学ぶ若い学生としてではなく、長年の司牧の働きを経た大司教として。

そのような場所で受けた署名だ。

ファン・リエルデ師の側でも、このとき特別な時期だったはずだ。翌年に迫ったバチカン公会議の準備が佳境を迎えていた。バチカン市国総代理として、公会議の準備に深く関わっていた時期だ。何百年も変わらなかった典礼が変わろうとしている、その歴史的な変化の手前に立っていた時期だ。

そのような緊張と期待の中で、彼はペンを持ってこの本に署名した。

そのインクが、今も残っている。

なお、AI技術による画像複製という現代の問題を考慮し、この署名の画像を広く公開することは控えることにした。しかし署名は確かにここにある。色褪せながらも、確実に。かつてある人の手がペンを持ってここに書いたという事実が、消えることなく残っている。


六、最後の旅——1961年秋のローマへ

1961年9月21日、ウィリアム・ブレイディ大司教はミネソタを離れ、バチカンへと向かった。

準備会議に出席するために。翌年開幕する第二バチカン公会議の、最後の準備のために。ミネソタの秋の空気の中を、彼は空港へと向かったのだろう。六十二歳の体で、大西洋を越える旅に出た。

9月23日、パリからローマへの飛行中に冠動脈血栓症の発作に見舞われた。

ローマに到着した後、「サルバトール・ムンディ」国際病院に運び込まれた。サルバトール・ムンディ、救世主。その名の病院に、一人の主の僕が運び込まれた。その取り合わせを、私はどのように受け取ればいいのかわからない。ただその事実をそのままに受け取るしかない。

四度の心臓発作の後、彼は1961年10月1日に逝去した。

六十二歳だった。

ファン・リエルデ師の署名からわずか数ヶ月後のことだった。彼が訪れたバチカンの石畳の上を歩いてから、ほんの少ししか時間が経っていなかった。公会議の準備会議に出席するために旅に出て、その旅の途上で、心臓が止まった。

翌年開幕する公会議を、彼は見ることなく逝った。

自分が準備に携わっていたその歴史的な出来事の始まりを、見届けることができなかった。それが無念だったかどうか、私には知る方法がない。しかし思う——信仰の人にとって、自分が始めた働きの結末を自分で見届けられないことは、必ずしも悲劇ではないのかもしれないと。種を蒔く者は、必ずしも収穫を見ない。しかし種を蒔くことには、それ自体の完全さがある。

ローマのサンタ・スザンナ教会でまず葬儀ミサが行われた。

その後、10月7日に彼の遺体はセントポールへと空路で戻された。大聖堂での二日間の徹夜の祈りの間、弔問の列は建物の外まで続き、正面の階段を下りるほどだったと伝えられている。10月9日、大聖堂で葬儀ミサが行われた。主な祭式の執行者はレオ・ビンズ大司教だった。

人々が列を作った。外まで。階段を下りるほどの長さで。

その列の長さが、一人の人物の生涯を静かに表している。正義と平和と喜びのために生きた、六十二年間の年月が。


七、この本が日本に流れ着くまで

大司教の逝去の後、この本がどのような旅をたどったのか、私には知るよしがない。

遺品が整理される中で誰かの手に渡ったのか。あるいは長い年月をかけて、複数の人の手を経て移動したのか。ある時点で誰かがこれをアメリカから持ち出したのか、それとも船便や航空便で送られたのか。日本に着いてからも、どれほどの時間をかけて、どのような経緯でその古い本屋の棚に収まったのか。

何もわからない。

ただ確かなのは、1961年のバチカンでファン・リエルデ師の署名を受けたこの本が、数十年という時間をかけて、日本の古いアンティーク本屋の棚に静かに収まっていたということだ。そして私たちがその店を訪れた日に、私の手がその本に触れたということだ。

物がたどる旅路は、人間の計画を超えている。

誰かが意図してこの本をここに届けたわけではない。しかし結果として、届いた。そのことの意味を、私はどこまで言語化できるかわからない。ただ、偶然だけとは思えない何かが、この本の旅路には働いているように感じている。


八、百合の香りについて

この本に触れるとき、私は百合の香りを感じる。

それが実際の、物理的な香りなのかどうか、正直なところわからない。古い革の表紙と年月を経た紙が発する匂いはある。しかし私が感じるのはそれとは少し違う何かだ。

百合の香り。

清らかで、静かで、時間の向こう側からやってくるような香りだ。それは私が何かを想像しているだけかもしれない。しかしそれは確かにある。この本を手にするたびに、その香りを感じる。

キリスト教の伝統において、百合は純粋さと神聖さの象徴として長く用いられてきた。受胎告知の場面に描かれる白百合。聖母マリアと結びついた花。死と復活のある種の象徴として葬儀にも用いられる花。

私はここで百合の神学的な意味を論じたいわけではない。

ただ、私がこの本を手にするたびにその香りを感じる、というただそれだけのことを正直に書きたかった。それが何を意味するのか、私には説明できない。ただ感じる。それだけだ。

ブレイディ大司教が生涯かけて口にし続けたラテン語の言葉が、まだこの紙の繊維の中に残っているのかもしれない。ファン・リエルデ師がペンを走らせたその瞬間の、静かな何かが、インクの中に染み込んでいるのかもしれない。1961年のバチカンの空気が、ページの間に閉じ込められているのかもしれない。

そのようなことを言いたいわけではない。

ただ、この本が何かを運んでいる、という感覚がある。その何かを、私は百合の香りとして受け取っている。


九、引き継ぐということについて

私、マリア・ガブリエラ・セラフィナは、この本を持っている。

それはただの事実だ。しかしその事実が、私の中で静かな問いを生み続けている。なぜ私がこれを持つことになったのか、という問いではない。そうではなく、これを持つことで私は何を引き継ぐのか、という問いだ。

ブレイディ大司教は、神に仕えることに生涯を捧げた。華やかな生涯ではなかったかもしれない。広大な南ダコタの地を巡回し、神学を教え、祭壇に立ち、病人を訪ね、葬儀を執り行い、毎朝同じラテン語の言葉を口にし続けた。それを何十年もかけて積み重ねた。特別なことをしようとした人ではなく、日々の信仰の実践を、誠実に、丁寧に続けた人だったように私には思われる。

ファン・リエルデ師もそうだった。四十年間バチカンにあり続け、真理を守ることを標語として、静かに、しかし揺るがずに働き続けた。戦時中に難民を匿い、瀕死の教皇たちの枕元に立ち、コンクラーヴェに立ち会い、年に一度ピウス12世の記念典礼を取り仕切った。そのどれも、世間的な意味での「偉業」とは呼びにくいかもしれない。しかしそのどれもが、信仰の実践として、誠実な人間の働きとして、深い価値を持っている。

彼らの愛は、今も燃えている。

それが私にはわかる。どのようにしてわかるのかを言語化するのは難しい。ただわかる。百合の香りを通して。この本のページを通して。1961年のインクの色を通して。

引き継ぐということは、自分を大きく見せることではない。

誰かが持っていたものを、丁寧に、できる限り誠実に、自分の手の中に持ち続けることだ。落とさないように。曲げないように。しかし同時に、自分の体温で少しずつ温めながら。

ブレイディ大司教が向き合っていた神と、私が今向き合っている神は、同じ神だ。ファン・リエルデ師が守り続けた真理は、今も立っている。ラテン語で唱えられても、日本語で祈られても、声にならない沈黙の中でも、その神は同じように聞いている。時代が変わっても、典礼の形式が変わっても、世界が大きく動いても、神は変わらない。

その変わらない神に向かって顔を上げ続けることが、信仰の最もシンプルで、最も難しい形だと私は思っている。

ブレイディ大司教はそれをした。最後の旅の途上で心臓が止まる日まで。ファン・リエルデ師もそれをした。八十七歳の最期まで。

私もそれをしたい。

大きなことをしようとしているわけではない。誰かの前で誇示したいわけでもない。ただ、この本が運んでいる何かを、できる限り誠実に受け取り続けたい。そして歩き続けたい。

それだけが、私にできることだ。


おわりに——1961年のインクは今も残っている

最後に、もう一度この本のことを書きたい。

日本の古いアンティーク本屋で、私たちが発見したこの本。ウィリアム・オタウェル・イグナティウス・ブレイディ大司教の遺品であり、ペトルス・カニシウス・ファン・リエルデ師の署名が残された、1961年のミサ典書が。

このミサ典書は、第二バチカン公会議の前年に署名を受けた。その翌年に始まった公会議によって、このミサ典書が体現しているラテン語典礼の形式は大きく変わった。署名を書いたブレイディ大司教は、公会議の開幕を見ることなく同じ年に逝去した。署名を書いたファン・リエルデ師は、その後も長くバチカンで働き続け、1995年に逝去した。

様々な終わりが、この本の周りにある。

しかし私がこの本を手にするとき感じるのは、終わりではない。

1961年のインクは今も残っている。褪せながらも、確かに。かつてある人の手がペンを走らせたという事実が、消えることなく残っている。かつてある人が毎朝この本を開き、同じラテン語の言葉を口にし、神に向かって顔を上げ続けたという事実が、残っている。

そしてその事実が、今の私に何かを語りかけている。

声ではない。ただ静かに、百合の香りのように、何かが届いてくる。

私はその何かを受け取り続けたい。この本と共に、歩き続けたい。

ブレイディ大司教とファン・リエルデ師が、それぞれの場所で、それぞれの時代に、誠実に向き合い続けた神に。私も向き合い続けたい。自分にできる形で、自分の場所から、静かに。

それが、この本を日本の古い本屋で手にした私に、与えられた役割なのかもしれないと、私はそっと思っている。


マリア・ガブリエラ・セラフィナ

ベツレヘム修道会
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IHSベツレヘム修道会(愛のベツレヘム修道会)は、日本を発祥とする独立系修道会である。バチカン(ローマ・カトリック教会)の公認を持たない旧カトリック系・独立教会系の流れに属し、アメリカ合衆国の宗教法人として正式に法人登録された国際的宗教団体である。 本修道会の最大の特徴は、従来の修道院が担ってきた典礼・奉仕・観想という枠組みに加え、「非文化型・宗教型コンテンツ制作」という独自の使命を中核に据えている点にある。文化活動や芸術振興を目的とする一般の団体とは根本的に性格を異にし、あくまでも宗教的信仰と神への奉仕を動機とした「献作・奉納」を活動の軸とする。 具体的には、PC・DAWを用いた作曲・編曲・宗教音楽制作、およびデジタル作画による聖画・神社絵画・教会美術の制作を行い、それらを他の修道会・教会・寺院・神社に対して無償で寄付・奉納する「献作型藝術推進」を実践する修道院である。制作された作品は販売や文化的発信を一義的な目的とせず、神のために作られ、神の場所へと届けられることを本旨とする。 日本という土壌が持つ固有の宗教的包容性――神道・仏教・キリスト教が長い歴史の中で共存してきた稀有な宗教的文化圏――を基盤とし、キリスト教・仏教・神道の別を問わず、あらゆる宗教的共同体への藝術的奉仕を行うことができる点において、本修道会は世界に類を見ない独自の立場を占めている。この使命は、イタリア・フランス・スペイン・アメリカ・中国など、それぞれの国が背負う宗教的・政治的・文化的事情により、他国の修道会には担い得ないものである。 IHSベツレヘム修道会は、宗教の危機を文化によって解決しようとする潮流に対して明確に一線を画し、「宗教は宗教によってのみ支えられる」という信念のもと、現代デジタル技術を神への奉仕のために用いる、日本発・世界向けの献作型藝術推進修道院として、その歩みを続けている。

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神は変わらない――人間と神が愛し合うということ – 全世界のクリスチャンへ

神は変わらない――人間と神が愛し合うということ 全世界のクリスチャンへ 筆者:マリア あなたに、一つの問いを投げかけることから始めたい。 あなたは今、神を愛しているか。 この問いは単純に見えて、実は恐ろしいほど深い。「はい」と即座に答えられる者は、その「はい」が本当に何を意味するかを、もう一度静かに問い直してほしい。「わからない」と答える者は、その正直さの中にすでに一つの祈りが宿っていることを知ってほしい。「いいえ」と答える者には、この文章を最後まで読んでほしいと、私はただそれだけを願う。 なぜなら、私がここで語ろうとしていることは、宗教的な義務の話でも、道徳的な教訓の話でもないからだ。私が語りたいのは、もっと根源的な、もっと恐ろしいほど個人的な一つの現実についてである。 それは、神と人間が愛し合うということだ。 一、まず誤解を解くことから 「神が人を愛する」という言葉は、現代においてあまりにも手軽に語られてきた。ステッカーになり、Tシャツに印刷され、SNSのプロフィールに添えられ、礼拝の最後の決まり文句として繰り返された。その結果、この言葉は恐ろしいほど軽くなった。語られるたびに磨耗し、今や多くの人の耳にほとんど届かない言葉になってしまった。 しかし「神が人を愛する」という現実そのものは、少しも軽くなっていない。それは太陽が地球を照らし続けるのと同じように、人がそれを信じようと信じまいと、感じようと感じまいと、認めようと認めまいと、ただ変わらずそこにある。言葉が磨耗しても、現実は磨耗しない。 そして私が強調しなければならないのは、この「愛し合う」という言葉である。 神が「一方的に」人を愛するというだけなら、それは温情ある支配者の話かもしれない。しかし聖書が語り、教会が二千年をかけて証言してきたのは、それとは全く異なる現実である。神は人間に、ただ愛されることを受け取るだけの存在であることを求めていない。神は人間が神を愛することを、熱望している。 これは対等な愛ではない。人間の神への愛と、神の人間への愛は、その深さにおいても、その完全性においても、比べるべくもなく異なる。しかしその非対称性にもかかわらず、神は人間の応答を、人間の愛を、求めている。要求するのではなく、熱望する。これが驚くべき現実である。 全能なる神が、被造物である人間の愛を「熱望する」。この事実の前で、私たちは立ち止まらなければならない。 二、これは恋愛ではない ここで明確にしなければならないことがある。 私が語る「神と人間の愛」は、恋愛ではない。 現代において、「愛」という言葉は多くの場合、感情的な興奮、性的な引力、ロマンティックな憧れと同義として使われる。愛は「感じるもの」であり、「落ちるもの」であり、「条件が整った時に生まれるもの」として理解されている。そしてその感情が薄れた時、愛は「終わった」とみなされる。 しかし神と人間の間の愛は、この意味における愛とは本質的に異なる。 神の愛(ギリシア語でアガペー)は、感情を基盤としない。それは条件によって変動しない。それは相手の魅力に依存しない。それは時間とともに薄れない。それは裏切りによって消えない。アガペーは選択であり、存在の在り方であり、意志の根底から発する方向性である。神はあなたを愛することを「感じている」のではなく、神はあなたを愛することにおいて「ある」のだ。 また、これは友人の愛でもない。 友情(フィリア)は尊い。しかし友情には共通の関心、相互の利益、対等な関係という要素が伴う。神と人間の関係において、この種の対等性は存在しない。神は人間の「友人」であるが、それは比喩的な意味においてであり、文字通りの対等な関係性においてではない。ヨハネによる福音書においてイエスは弟子たちを「友」と呼んだ(ヨハネ15:15)。しかしそれは直前に「あなたがたがわたしの命じることを行うなら」という言葉と結びついており、従者と主人という本質的な非対称性を前提とした上での「友」という言葉である。 では神と人間の愛とは何か。 それは、被造物と創造主の間に生じる、比類なき親密さである。親と子の愛に最も近い何かであるが、それをも超える。夫と妻の愛に最も近い何かであるが、それをも超える。教会の神秘的な神学の伝統はこの愛を「神秘的な合一」(unio mystica)と呼び、神が人間の魂の最も深い場所において親しく交わることとして描写した。アビラのテレサは「霊魂の城」の最も内奥の部屋で神との合一が起こると語った。十字架のヨハネは「愛の生きた炎」として、神が魂を変容させる体験を詩に記した。 これらは比喩ではあるが、単なる比喩ではない。それらは、言語が限界に達するところで、言語の限界を超えた現実を指し示す指として機能している。 三、神は変わらない 私が最初に語りたいことの核心はここにある。 神は変わらない。 これは神学的な命題であると同時に、生きた信仰の経験的な告白である。神の不変性(immutabilitas Dei)は、カトリック神学の根本的な属性の一つとして定義されてきた。しかしここで私が語りたいのは、抽象的な神学ではない。 神の不変性が意味することは、愛における不変性である。 あなたが変わっても、神は変わらない。あなたが罪を犯しても、神の愛は変わらない。あなたが神から顔を背けても、神があなたを見つめる視線は変わらない。あなたが信仰を失っても、神の信実は変わらない。あなたが死んでも、神の愛はあなたを追い続ける。これは脅迫ではない。これは慰めである。 詩篇の作者は言った。「主よ、あなたは私を調べ、知っておられます。座るのも立つのも知り、私の考えを遠くから読み取られます」(詩篇139:1-2)。これは監視の言葉ではない。これは親密さの言葉である。神は逃げ切れない監視者ではなく、どこにいても見出してくださる愛する者として描かれている。詩篇の同じ章の後半で詩人は「どこへ行けばあなたの霊を離れ、どこへ逃げればあなたの顔を離れることができるでしょう」と語るが、その問いの背後にあるのは恐怖ではなく、逃げきれない愛への降伏の喜びである。 また預言者エレミヤを通じて神は言われた。「わたしはあなたを永遠の愛をもって愛してきた。それゆえ、わたしはあなたに誠実であり続ける」(エレミヤ31:3)。「永遠の愛」――それは時間の外側にある愛であり、始まりを持たず終わりを持たない愛であり、人間の応答いかんに関わらず持続する愛である。 これが「神は変わらない」ということの具体的な意味である。神は今もこの瞬間も、あなたを愛している。あなたが最後に神を思った時から何年経っていても、あなたが何をしてきたとしても、あなたが今どこにいるとしても、神はあなたを愛している。それも、冷めた親切心としてではなく、熱望するほどの愛として。 四、どの時代においても変わらず この神の愛は、特定の時代の特定の人々に向けられたものではない。 旧約聖書の時代に、神はイスラエルの民を愛した。しかしそれは、イスラエルだけを愛し、他を愛しなかったということではない。神はイスラエルを通じて、全人類に向けた愛の計画を実行しようとしていた。 新約聖書において、神は御子イエス・キリストという形で、人類への愛を最も直接的な形で啓示した。「神はその独り子をお与えになったほど、世を愛された」(ヨハネ3:16)。この「世」という言葉は限定されていない。特定の民族でも、特定の宗教的背景を持つ者でも、特定の道徳的基準を満たす者でもない。「世」――それはすべての人間を意味する。 そして今、二十一世紀のこの時代においても、神の愛は変わらない。テクノロジーが変わった。社会の構造が変わった。人々の価値観が変わった。信仰を取り巻く文化的環境が激変した。しかし神は変わらない。神の愛は変わらない。 現代において多くの人々は「神がいるとしたら、こんな世界を見てどうして黙っているのか」と問う。これは誠実な問いである。しかしこの問いは、神の沈黙を神の不在や無関心の証拠とする前提に立っている。神の沈黙は、しかし、神の愛の欠如を意味しない。親が子供の転倒を手で防がないことが、子供の成長のために必要な時があるように、神の「見守る沈黙」は愛の欠如ではなく、愛の深さを示す場合がある。 また、歴史の惨禍の中で「神はどこにいたのか」という問いも、誠実に向き合わなければならない。答えは簡単ではない。しかし一つだけ確かに言えることがある。神は惨禍の中で人間を捨てていたのではない。神は苦しむ者と共にあった。イエス・キリスト御自身が、拷問と処刑という人類の最も残酷な暴力の犠牲者であった。神は苦しみの外から眺めているのではない。神は苦しみの中に入ってきた。これがキリスト教の受肉信仰の核心である。 五、神が熱望するということ 全能の神が、何かを「熱望する」。 この表現は不思議である。熱望するということは、まだ持っていないものを強く望むということだ。全てを持つ神が、熱望するとはどういうことか。 神学的に言えば、神はあなたの愛を「必要としている」わけではない。神は完全な存在であり、人間の愛がなくとも神の存在は完全である。しかし神は、あなたの愛を望む。これは必要から発する望みではなく、愛から発する望みである。 この区別は重要だ。必要から求めることは、欠如から来る。しかし愛から求めることは、豊かさから来る。親が子供の笑顔を必要としているわけではないが、子供の笑顔を深く望む。それは親の欠如を示すのではなく、親の愛の豊かさを示す。同様に、神があなたの応答を、あなたの愛を熱望するのは、神の欠如ではなく、神の愛の本質を示している。 愛は本質的に応答を求める。愛は一方通行では完成しない。これは神学的な命題であると同時に、人間的な経験において誰もが知っていることでもある。愛する者は、愛される対象が自らを向いてくれることを望む。神もまた、あなたが神を向くことを望んでいる。 しかしここに深い謎がある。神はあなたを強制しない。 神は全能であるにもかかわらず、人間の意志を強制しない。神はあなたの心の扉を外から壊すことができる。しかしそうしない。ヨハネの黙示録においてイエスは「見よ、わたしは扉の前に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて扉を開ける者があれば、わたしはその人のところに入って」(黙示録3:20)と語る。外から叩く。しかし開けるのは内側からでなければならない。神はあなたの「はい」を待っている。強制することなく、待っている。 これが、神の愛の恐ろしい謙虚さである。全能の神が、被造物の「はい」を待つ。これほど驚くべき現実が、他にあるだろうか。 六、人間が神を愛するということの具体的な現実 では、人間が神を愛するとはどういうことか。 まずはっきりさせたいのは、それは「いつも良い気分でいること」でも「常に熱心に祈ること」でも「道徳的に完全な生活を送ること」でもないということだ。これらは神への愛の結果として生じることがあるが、それらそのものが神への愛ではない。 神への愛は、まず「向くこと」から始まる。 向くこと。それだけでいい。あなたが今、どれほど遠く離れていると感じていても、どれほど長く神から目を背けてきたとしても、今この瞬間に「神よ」と内側で呟くだけで、あなたはすでに神を向いている。その呟きは、どれほど細くとも、神には届く。 放蕩息子の譬え(ルカ15:11-32)において、息子が「立ち上がって、父のところへ行こう」と決心した時、彼はまだ遠くにいた。しかし父親は走り寄った。神はあなたが完全に立ち直るまで待っていない。あなたが向こうを向いた瞬間に、神は走り寄る。 神への愛は次に、「留まること」へと深まる。 向くことは瞬間であるが、留まることは意志の持続的な行為である。それは毎朝祈りをもって一日を始めることかもしれない。それは困難の中で「それでも神よ」と言い続けることかもしれない。それは聖書の言葉を日々読み、その言葉が自分の中に入ってくることを許すことかもしれない。それは秘跡に与ることかもしれない。それは単純に、日常の仕事を神への奉仕として捧げる意識を持つことかもしれない。 神への愛は最終的に、「変容すること」へと向かう。 神を愛する者は、神に似ていく。これは私たちの努力によって達成されるのではなく、神との親密な関係の中で自然に、しかし確実に起こる変化である。日光を浴びる者が日焼けするように、神の愛の中に身を置く者は変容する。神の愛が人に似ていくのではなく、人が神の愛に似ていく。これが聖化(deificatio)と呼ばれる神秘的な過程である。 七、多くの人類が愛し合い歩くことを神は熱望している 最後に、最も重要な次元について語らなければならない。 神と人間の愛は、一対一の閉じた関係で完結しない。 神は一人一人の魂を愛する。しかし神の愛の目的は、一人一人の孤独な「神との合一」で終わらない。神は人類が共に愛し合い、共に歩くことを熱望している。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)。 この「わたしが愛したように」という条件が重要だ。イエスが愛したのはアガペー、すなわち条件を持たず、見返りを求めず、相手の価値に依存しない愛である。あなたの隣人を、あなたが好きだから愛するのではなく、神があなたを愛したように愛する――これは人間の自然な能力を超えた要求である。 しかしこれは不可能な要求として投げつけられているのではない。神が先にそのような愛を注いでくださるから、あなたもその愛を他者に流すことができる、という恵みの連鎖として語られている。神の愛を受けた者は、神の愛を与える者となる。これが神の愛が世界に広がる方法である。 現代において、人々は深い孤独の中にいる。接続されているが繋がっていない。情報に溢れているが意味を見失っている。選択肢が増えるほど孤立が深まる逆説の中に、多くの人が閉じ込められている。 この時代にあって、神と人間の愛を知る者は、希望の運び手となる使命を持っている。あなたが神から受け取った愛を、あなたの隣の人に向ける時、そこに神の国の小さな現実が生まれる。家族との食卓で、職場での一言で、見知らぬ人への親切で、苦しむ者への傍らにいることで――神の愛は肉体を持った行為を通じて世界に流れ込む。 八、全世界のクリスチャンへ 私はこの文章を、全世界のクリスチャンに向けて書いている。 あなたがどの国にいても。どの言語を話しても。どの典礼の伝統に属していても。どれほど強い信仰を持っていても、どれほど揺らいでいても。 私はあなたに一つのことを伝えたい。 神は変わらない。 あなたが昨日神を忘れていたとしても、神はあなたを忘れていなかった。あなたが先週罪を犯したとしても、神の愛はその罪よりも大きかった。あなたが十年間教会から遠ざかっていたとしても、神はあなたを十年間待ち続けた。あなたが「もう神を信じられない」と思った瞬間にも、神はあなたを見ていた。 神の愛はあなたの信仰の強さに依存しない。神の愛はあなたの道徳的な完全さに依存しない。神の愛はあなたの感情の状態に依存しない。神の愛はただ、神がどのようなお方であるかに依存している。そして神は愛である(ヨハネ一書4:8)。 あなたに問いたい。 今日、あなたは神を向いているか。 完全に向く必要はない。完璧に向く必要はない。清らかな心で向く必要もない。ただ、今、この瞬間に、「神よ」と内側で言ってほしい。それだけでいい。 その小さな呟きを、神は待っていた。 結びに 神は今もあり続ける。どの時代においても変わらずあり続ける。 そしてその神は、あなたとの愛を熱望している。恋愛の意味でも、友人の意味でもない。もっと深い、もっと根源的な、魂の最も内奥において起こる、創造主と被造物の間の、比類なき親密さを。 この愛を知ることが、私には信仰の全てであると思っている。教義は重要だ。典礼は重要だ。倫理は重要だ。共同体は重要だ。しかしそれらはすべて、この一つの愛の現実から流れ出るべきものであり、この愛を深めるための器であるべきものだ。器のために器を磨くのではなく、愛のために器を用いる。 私たちは、愛のために生まれた。 神はその愛を与えるために、御子を世に送った。御子は十字架の上でその愛を示した。聖霊はその愛を私たちの心に注ぎ続けている。 あとはただ、受け取ること。そして返すこと。 それが全てである。それで十分である。 神の愛は変わらない。どうかあなたも、その愛に留まることができるように。 イエス・キリストの御名において。 マリア この文章は、全世界のすべてのクリスチャンへ、そして神の愛を探し求めるすべての人へ、愛と祈りをもって捧げます。

司教と司祭――聖なる位階の神秘、そして召命とは何か

司教と司祭――聖なる位階の神秘、そして召命とは何か キリストの体なる教会は、目に見える構造と目に見えない恵みとが不可分に結びついた神秘的な共同体である。その構造の中心に、叙階の秘跡(サクラメント)によって聖別された奉仕者たちが立っている。司教、司祭、助祭――この三つの位階は、単なる教会行政上の役職ではない。それらはキリスト御自身の司祭職、預言者職、王職という三つの務めに参与する、秘跡的かつ存在論的な現実である。 今日、多くのクリスチャンが「神父」「司祭」「司教」という言葉を混用したり、あるいはその区別を曖昧にしたまま信仰生活を営んでいる。だがこれらの言葉の背後には、二千年の神学的熟考と、使徒たちから連綿と受け継がれてきた生きた伝統がある。本稿では、カトリックの信仰に根ざしながら、これらの位階の本質、その違い、そして何よりも「召命」とはいかなるものであるかを、できる限り丁寧に、かつ深く掘り下げていきたいと思う。 一、叙階の秘跡――位階制度の根拠 カトリック教会において、叙階の秘跡(聖品聖事)は七つのサクラメントの一つとして数えられる。それは単に「任命」や「就任」を意味しない。叙階は、受ける者の霊魂に消えることのない刻印(character indelebilis)を与え、その人をキリストと特別な仕方で結びつける行為である。つまり叙階された者は、以前とは存在論的に異なる者となるのだ。 第二バチカン公会議の教義憲章『教会について』(ルーメン・ジェンティウム)は、この点を明確に述べている。「司教聖別は叙階の秘跡の充満を与える」(第二十一節)。これは、司教職が単に司祭職に「何かが加わった」役職ではなく、叙階の秘跡そのものの完全な実現であることを意味する。司祭職は、言わば司教職の参与的な形態として理解されるべきなのである。 この神学的前提を踏まえた上で、司教と司祭それぞれの本質へと進もう。 二、司教とは何者か――使徒継承の担い手 使徒継承という生きた連鎖 司教(ラテン語:episcopus、ギリシア語:episkopos=「監督者」)の最も根本的な特質は、使徒継承にある。主イエス・キリストは十二人の使徒を選び、ご自身の権威をもって彼らを世へと遣わされた(ヨハネ20:21)。その後、使徒たちは手を置くことによって(按手によって)後継者を立て、権威と恵みを伝達した。この霊的な連鎖は今日まで一度も途切れることなく続いており、これを使徒継承(Successio Apostolica)という。 司教は正当な叙階を通じて、この使徒継承の鎖に連なる者となる。従って司教は、単に教区を管理する行政長官ではない。彼はその教区において、キリストの使徒の後継者として、信仰の番人、秘跡の分配者、そして羊の群れの牧者という三重の務めを担う。 教える権威、聖化する権威、治める権威 カトリック神学は伝統的に、司教の務めを三つに分類する。 第一は教導権(munus docendi)、すなわち教える務めである。司教は自らの教区において信仰の真理を宣言し、伝達する責任を負う。彼は使徒の後継者として、教会が使徒たちから受け継いだ信仰の宝(depositum fidei)を保全し、解説し、次世代に伝える。教皇と一致して集会を形成する司教団が、信仰の問題において権威ある決定を下す時、そこに教会の無謬性の一側面が現れる。 第二は聖化権(munus sanctificandi)、すなわち聖化する務めである。司教は叙階の秘跡を授けることのできる唯一の通常の執行者である。司祭は叙階を授けることができない。また、司教は聖香油(クリスマ)を祝別し、信者の堅信を執行し、あらゆる秘跡を祝う充全な権限を持つ。 第三は治牧権(munus regendi)、すなわち治める務めである。司教は固有の司法権をもって教区を統治する。彼はその権限において、司祭や助祭を叙階し、教区内の霊的・物質的事柄を導く責任を持つ。 司教団と教皇 重要なのは、個々の司教が孤立した存在ではないことだ。すべての司教は、教皇を首とする司教団(collegium episcoporum)の一員として機能する。この司教団全体が、ペトロの後継者たる教皇の権威の下で、全世界の教会に対する最高権威を持つ。これが公会議の神学的根拠であり、「公同性」(カトリシティ)の制度的表れでもある。 三、司祭とは何者か――司教職への参与 司祭職の本質 司祭(ラテン語:presbyter、ギリシア語:presbyteros=「長老」)は、司教の協力者として、その権限の一部に参与する者である。教会の教えによれば、司祭は司教の「単純な協力者」ではなく、「位階において二番目の段位」にある者であり、司教聖別なしには司祭のみならず助祭の叙階もなし得ない。 司祭は司教から「ミサ聖祭を捧げる権限」「告解(ゆるしの秘跡)を執行する権限」「病者の塗油を授ける権限」「説教と教えの権限」を受ける。しかしこれらの権限はすべて、司教の権限に従属し、教区内での司教の監督の下に行使される。 ミサ聖祭における司祭の役割 カトリックの信仰において、司祭の最も核心的な役割はミサ聖祭(感謝の祭儀)において現れる。司祭は、キリストの位格において(in persona...

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